デヴィッド・リカードといふ男

今回の記事は昔私がとある機会に書いたものの一部を切り取って貼り付けたものである。

記事を書きたいが忙しいのでたまにはこういうずるい手も使っていきたいと思う。内容は近代経済学の父とも称される偉大な経済学者デヴィッド・リカードについてつらつらと書いたものである。

 

リカードはロンドンで17人兄弟の3番目として生まれたあと、14歳でロンドン証券取引所で父に働かされ金融と携わった。その後宗教的な理由から家族と袂を分かち大学を中退している。リカードが経済学の道に進んだのは彼が20代の後半の時に出会った国富論に影響されたことに始まる。リカードといえはなんといっても経済学および課税の原理である。なんとリカードはこの研究の中にリカードの功績として最も有名であり現在経済学部で学ぶ中で最も初歩的な概念である比較優位について明らかにした。また、経済学および課税の原理は比較優位を明らかにしたのみならず、アダム・スミスの使用価値の概念、交換価値の存在を認め投下労働価値説の立場を引き継いぎ、交換価値の存在を明らかにし、マルクスへ多大なる影響を与えたのである。
では具体的には『経済学および課税の原理はどのような内容だったのだろうか。
その内容は穀物法論争と切って話すことは出来ない。

穀物法論争とは1815年に制定された穀物条例を巡るリカードと、マルサスの論争である。当時ナポレオン戦争後、イギリスの穀物価格が大暴落したことを受け穀物の輸入を制限する事が制定された。この事をリカードは批判したのである。様々な主張からリカードマルサスは対立したが単純化すればリカード自由貿易を主張し重商主義を批判する上で穀物法は富の偏りを批判した。これに対しマルサス保護貿易を主張したのである。

 

この穀物法論争の中でリカードは、経済学の歴史上において重要な様々な発見をした。主な議論として地代論や賃金や貿易など様々な議論が存在している。その中で私は今回、2つのテーマがリカードの最も偉大な功績であると考えて選んだ。それは比較優位と投下労働価値説である。
比較優位はリカードの最も代表的な主張である。今更比較優位というものがなんなのかということをここで具に説明するつもりはないが大まかに説明すると、アダム・スミスの絶対優位の理論に選択と集中の理論を持ち込みアダム・スミスが明らかにした分業の利点を更に拡大させ明確にした理論である。つまり最も優位な分野に集中して国家が生産を行った時に貿易でお互いの利益が最大化されるということである。この比較優位の原則は穀物法論争の重商主義の批判の中で誕生した。従来国内に資源を溜め込むことで富を増大させることを方針とした重商主義アダム・スミスは批判しました。その立場を受け継いだリカードは分業の理屈を発展させ絶対優位から、比較優位を導き出しました。この比較優位の原則を主張したからこそリカード自由貿易を推進し穀物法を批判しました。

比較優位の次は投下労働価値説である。投下労働価値説というとマルクスが有名である。
マルクス資本論で使用価値と、交換価値、また、すべての商品に対しあらゆる局面で通用する価値尺度として投下労働により、規定される価値の存在を明らかにした。しかしなにもこの理論はマルクスがいきなり考えついたものではない。偉大な経済学者であったマルクスもまた、巨人の肩に乗っていたのである。投下労働価値説は基本的にはアダム・スミスから始まる。アダム・スミス重商主義を批判し輸入を推進した。それはアダム・スミスは富とは金や銀のような物の事ではなく消費財であると主張したからである。富を消費財と見なすならば金や銀を輸出してでも消費財を輸入することは国の利益に通じるからである。この消費財を富と考える考え方、マルクスが明らかにしたところの使用価値と同じ内容である。アダム・スミスは労働から全ての価値は購買され消費財として存在するとした。これが投下労働価値説の始まりである。しかし、アダム・スミスの投下労働価値説は不完全であった。それは交換価値の存在を明らかにできなかった事に、起因するが商品の価値が投下される労働により規定されるのかそれとも商品そのものが支配することのできる労働量によるのか区分しなかったことである。この商品が支配することの出来る労働から価値が形成されるという考えたかを投下労働価値説に、対し支配労働価値説と呼ぶ。この支配労働価値説を否定し、投下労働価値説の立場を明確にしたのがリカードである。リカードは交換価値の概念を提唱した。交換価値とは市場において貨幣等において交換されうる量が価値を決めるという考え方である。リカードはその価値というのが投下された労働量と等しくなると考えた。つまり投下される労働量と商品が交換される貨幣量が等しいと考えたので価値が交換されうる尺度として価値を規定したのである。この交換価値の概念を提唱したことで投下労働価値説の立場をリカードは明らかにした。この投下労働価値説を受け継ぎ発展させ労働と労働力を区分し利潤と剰余価値を明らかにし資本主義が搾取を源泉とした貨幣の増殖運動である事を明らかにしたのがマルクスである。

以上2つの分野においてリカードは非常に大きな功績を残した。そしてその両方が穀物法論争に起因する経済学および課税の原理によって発表された。

 

今回は以上である。次からはきちんと新しく書いたものを記事にしたい。

また、こんな堅苦しいものではなくもっと愉快で楽しいテーマにしたいものである。

【中国経済】都市部と農村部における格差の要因 【解説Part2】

今回の記事も中国の経済についてである。まさか本当に続くとは自分でも思ってもみなかった。

単刀直入、早速だが中国における都市と農村部の格差について書いていく。貴方は中国に行ったことがあるか。私はある、もし中国に行ったことがある人ならその格差の一端に触れることが出来たのではないだろうか。基本的には観光なら都市部であるとは思うがその都市の中でも少し外れればいきなり貧困が垣間見える。加えてもし貴方が農村部にも少し立寄ったのなら都市部とのその発展の差に驚いただろう。中国に実際行ったことのあるなしに関わらず中国が大きな格差を抱えている事はある程度想像がつくことであろう。

今回はその中でも中国における都市部と農村部における経済格差について書いていく。
また、この記事では都市部と農村部における所得格差、その中でも移転所得についてのみ触れる。

 

そもそも中国人の所得は給与所得、移転所得、経営所得、資産所得に区別される。
今回は先程も述べた通り移転所得について記述していく。

移転所得とは政府の社会保障や企業の福利厚生等の副次的な収入を指す。
2013年平均移転所得の農村部と都市部の格差は8.9倍である。この差は非常に大きくほかの3種類の所得と比べ最も差が大きい。そのため、都市農村間の格差拡大における最重要事項とも言える。この移転所得の格差の要因は幾つかあるがその最たるものは戸籍制度にある。


中国では1985年より戸籍制度が改められ、農村住民と都市住民が別の戸籍で管理されている。そして、社会保障制度は戸籍制度に基き管理されている。これはつまり戸籍制度により社会保障制度が異なるということを示す。
この事を初めて知る人は衝撃を受けるであろう。国民の生まれた場所によってそもそも社会保障制度が異なるというのは日本に生まれた私達には想像もつかない。この内容であるが当然、都市部の方が手厚い保護が存在する。具体的には医療や教育、年金が都市部の社会保障制度には存在するのに対して農村地域では低水準の養老保険や貧困補助のみである。また、農村ではそれに加え養老保険の加入率も低い。


中国における都市部と農村部における移転所得格差の主たる原因が少しはわかったであろうか。今回の記事はこれくらいにして終える。中国経済についての記事はまた書くかもしれないし、書かないかもしれない。

【中国経済】新常態(ニューノーマル)とは何か 【解説】

今回から連続して中国経済に関する記事を投稿していく(かもしれない)。理由に関しては特にないかが敢えて言うなら私が今それを考えていてここはその思考を垂れ流す場所であるという事だ。

また、私の作成する記事は基本的には事実関係の整理メインであり何か革新的な意見を持っていて発表するという訳では無い。更に、参考にした文献などを明記するつもりもない。しかし、嘘をつくつもりもないのでもし参考文献について聞きたい方はコメントかTwitterに連絡されたし。では次から早速本題に入る。

今回の記事のテーマは「新常態」についてである。では解説していく。

 

新常態とは文字通り新しい常態の事である。中国に限らずリーマンショック以降、従来の姿に戻ることの出来ない経済状況を指し示したものだ。

中国では2011念頃から新常態に入ったと言われている。2013年中国の国務院発展研究センターによると中国は高度成長期から中高速成長期に突入し新常態の時代が入ると述べた。

習近平氏が2014年河南省を視察した際に新常態について触れそれ以降中国経済を語られる上で外せないワードとなった。

では新常態の特徴とはなにか?習近平氏は2014年9月のAPECサミットで3つの特徴を述べた。

  1. 高度成長期から中高速成長への転換
  2. 経済構造の最適化
  3. 成長方法の変化(要素駆動投資駆動からイノベーション駆動へ)

これらが最もわかりやすい特徴であるがその他の特徴についてまとめてみる。

個性化多様化した消費,インフラと相互接続し新技術、新製品新、ビジネスモデルへの投資,中国の低コストメリットではなく海外からハイレベルな技術導入と海外進出により輸出入の変化,生産の小型化、専門化,高齢化と人員不足のため投入量の減少,数量拡大、価格競争から質の重視へ,環境を配慮し循環型社会の新モデルの誕生,バブルの解消(時間がかかる)過剰生産の終焉と新しい産業発展,経済成長率は10%から7%へ,労働生産性の向上,安定水準の国民生活、中間層の拡大,サービス業の発展,シャドーバンキング、地方政府の債務問題、不動産バブルに関わるリスクの顕在化等である。

 

では逆に旧常態とは何だったのか。

高い貯蓄率に支えられた高い投資率、生産コストの低さに支えられた製造業、環境への無配慮、資源対価、農民工に代表される労働者の低人権状態によって成された高度成長期の事である。

といってもこれだけではわからない人も多いと思うので上記の説明の中で出てきたワードについて少し細かく見ていってみよう。

 

高い貯蓄率と投資率

1978年から2000年まで国民貯蓄率35~40%

2007年には51.8%に到達

 

輸出の高成長

1979年から2012年で75倍になる(輸出額)

2013年までの10年間平均23%の輸出成長

当然GDP貢献率も高く、1990年と2005年では50%近い。

 

低生産コスト

労働力や土地、自然資源等の要素価格の低さが製造業において国際競争で優位性を持ちメイド・イン・チャイナの時代

世界の工場として覇権

 

環境への無配慮

ご存知の通り中国の自然環境は最悪の状態にある。環境汚染はピークに達したたも言われる。環境保護NGOは2600団体以上存在、環境被害調査の遅れから「がんの村」の存在、救済措置の遅れ、地方政府の開発優先政策

 

農民工に象徴される労働者の低人権状態

農民工という農村からの出稼ぎ労働者への待遇の悪さ

2003年製造業では68.2%建設業では79.8%が農民工であるが2009年の調査によると農民工雇用契約を結んだ企業は全体の42.8%

 

以上が、基本的な旧常態の特徴である。ここまで読めばわかったと思うが中国は現在も旧常態の課題を多く残している。中国の新常態とは現状の事を指す言葉として使われることもあれば、未来のあるべき形を指すこともある。この辺りの定義は特にされていないが現状の中国を一言で表すなら過渡期である。

最後に現在の中国の課題について少し言及し終える。

新常態での課題

第一は財政、金融リスクである。

地方政府は多額の債務を抱えており、その償還資金として土地を指定しているものは37%も存在する。その中で経済成長の鈍化により地価の下落より不良債権の発生も発生する。

 

第二に非貿易部門の生産性である。

製造業は先進国に遜色ない水準まで成長しているがサービス業に代表される非貿易部門、つまり国内産業であるがその労働生産性が先進国に対し大きく遅れをとっている。

 

第三に新しい成長フロンティアの開拓である。

ゆるやかな経済成長を維持し支えるためには既存のもの以外での成長の駆動力が必要となる。そこでサービス業や技術だけでなく組織や制度のイノベーションが課題とされている。

 

これで今回の記事は終わる。因みにこの中国経済シリーズは続く(かもしれない)、需要がなくても書き続ける(かもしれない)のだ。また、文章がまとまっておらず単語の羅列のようになってしまった部分は申し訳ない。